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YouTubeで不登校を学ぶ

【実話】1年半不登校だった息子(小3)が23日後に再登校するまでの奮闘日記

2021.11.14

この記事を読むのに必要な時間は約 41 分です。

今回は、「1年半不登校だった息子が23日後に再登校するまでの奮闘日記」という内容でお話します。

これまでこのチャンネルでは、多くの不登校を克服されたご家族をご紹介させていただきました。
しかし、それらのエピソードはどれも私達目線でお話してきたことに気付きました。
でも本当に皆さんが知りたいのは、「親御さん目線でどのように見えていたのか」ではないでしょうか。

そこで今回は、「実際に不登校を克服された親御さんの声を原文そのまま読み上げる」という回にしたいと思います。

この動画を見ると、実際に不登校を克服した親御さんの実情が分かります。
そして、これからみなさんが不登校とどう向き合っていくかを考えるきっかけになると思いますので、最後までぜひ見ていってください。

■目次
00:00 オープニング
01:54 ①今現在の息子さんの様子について教えてください。
03:27 ②生まれてから小学生になるまでの息子さんについて教えてください。
05:23 ③小学校入学後、不登校になるまでの息子さんについて教えてください。
08:36 ④不登校になってから、親御さんが取り組んだことを教えてください。
18:01 ⑤スダチ(旧逸高等学院)を選んだ理由を教えてください。
21:55 ⑥どのように再登校まで至ったかを教えてください。
26:24 ⑦最後にこれまでの振り返りと感想をお願いいたします。
29:17 まとめ

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↓以下、動画の台本になります。動画ではなくテキストでご覧になりたい方は以下をご参照ください。
(台本は動画を作成する際にメモとして残しているもののため、一部誤字脱字や表現が雑な部分もあります。その点はご了承いただけますと幸いです。)

---以下台本です---

スダチ(旧逸高等学院)の小川です。

今回は、「1年半不登校だった息子が23日後に再登校するまでの奮闘日記」という内容でお話します。
これまでこのチャンネルでは、多くの不登校を克服されたご家族をご紹介させていただきました。
しかし、それらのエピソードはどれも私達目線でお話してきたことに気づきました。
でも本当に皆さんが知りたいのは、「親御さん目線でどのように見えていたのか」ではないでしょうか。

そこで今回は、実際に不登校を克服された親御さんの声を原文そのまま読み上げる、という回にしたいと思います。
この動画を見ると、実際に不登校を克服した親御さんの実情が分かります。
そして、これからみなさんが不登校とどう向き合っていくかを考えるきっかけになると思いますので、最後までぜひ見ていってください。

私は、スダチ(旧逸高等学院)という通信制サポート校を運営しており、その中で不登校を3週間で解決する支援を行っています。
2021年は10月時点で既に90人以上が再登校しており、平均19日でみなさん再登校までいたっています。
このチャンネルは不登校で悩む親御さんに向けて、ここでしか聞けない、不登校解決のための秘訣をお話ししております。
不登校を本気で解決したい方は、今のうちにチャンネル登録お願いいたします。

今回ご紹介するご家族は千葉県在住のKさんです。
不登校になったのは小学3年生の息子さんで、小学1年生から約1年半の間不登校でした。

今回Kさんには次の7つの質問についてお答えいただきました。
①今現在の息子さんの様子について教えてください。
②生まれてから小学生になるまでの息子さんについて教えてください。
③小学校入学後、不登校になるまでの息子さんについて教えてください。
④不登校になってから、親御さんが取り組んだことを教えてください。
⑤スダチ(旧逸高等学院)を選んだ理由を教えてください。
⑥どのように再登校まで至ったかを教えてください。
⑦最後にこれまでの振り返りと感想をお願いいたします。

それではここから、お答えいただいた内容を1つずつ読み上げさせていただきます。

①今現在の息子さんの様子について教えてください。

小学校1年生から、行ったり行かなかったりを繰り返して約一年半ほど不登校でした。
不登校を克服してからのこの3ヶ月間は、怒涛の変化があったと言っても良いかもしれません。
毎朝遅刻せずに学校に行き、「楽しかった」と帰って来ると、学校の宿題をすぐに終わらせて、ダッシュで外に友達と遊びに行きます。
帰って来ると夕食までの時間に、今度は塾の宿題に着手します。
中学受験を話し合って決めて、塾に通い始めたばかりです。

塾の宿題も始めたばかりの頃は私がついて教えていましたが、
最近は「まずは自分で考えて、どーーしても分からなかったらお母さん聞く」と言って1人で取り組むようになりました。
1人で問題が解けた時は「できたー!!俺天才かも!」ととても嬉しそうです。

不登校中は日中テレビ、ゲーム、漫画を見て過ごす時間が大半で、勉強は親に言われたり、気分が乗ったらやっと着手。
もともと先取り学習をしておらず、塾や公文などの学習系の習い事もしていなかったので、勉強の進行具合は遅めだったと思います。
3ヶ月前はそんな状態だったので、今のこの生活は自分で書いていて嘘のようです(笑)
しかし、生き生きした息子の姿を見ていると、今が本来の彼の姿かもしれない、と感じています。

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再登校後も無事学校に行けているようで安心しました。
今の様子を聞いていると、不登校で苦しんでいたとは想像できないですね。
ここからは、どのようにして不登校まで至ったかを幼少期から振り返っていきたいと思います。
それでは次の質問にいきましょう。
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②生まれてから小学生になるまでの息子さんについて教えてください。

赤ちゃんの時はあまり寝てくれず、よく泣き、そしてなかなか泣き止まない子でした。
寝不足でクタクタになって育児をしていた覚えがあります。
肌感触が合わない服や靴は嫌がって着てくれず、苦労しました。
新しい場所に出掛けても、実際に行くと不安で帰りたがる、という繊細で敏感な子でした。
HSCの気質にぴったりと当てはまるタイプです。

1歳で保育園に預けたのですが、1年間は朝の別れ際に泣いていたと思います。
しかし、言葉に馴染むのは早い子だったので、会話は2歳でかなり出来るようになり、早くから意思疎通ができたのを良く覚えています。
理由を話して「コレはダメなのよ」と言うと通じるのが、とても助かりました。

何でもかんでもお母さんがいないと嫌、という幼児期でしたが、保育園も年長になる頃には頼もしくなって、毎日保育園に楽しく通っていました。
連休が続くと「早く保育園に行って友達と遊びたい」というほど保育園が好き。
いつの間にか「何でもやってみたい!」「色んな事をしたい!」と好奇心旺盛で、身体を動かすのが大好きな自信の溢れた男の子になっていました。

保育園の先生からは「何でもやってみたいという好奇心が強く、物知りで、そつのない子だ」と言われていました。
繊細な性格を心配していましたが、「これなら小学校に行っても大丈夫!」とこの時期は安心していました…。

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保育園時代はとても活発で元気な男の子だったようですね!
ここから不登校になってしまうイメージが全然わかないですが…。
1つ気になるところがあるとすると、HSCの気質があった部分ですかね。
やはり、不登校のお子さんの中でHSCの気質がある子は多いですね。
不登校になりやすい特徴なんだとは思います。
今聞いてくださっている親御さんの中でも、お子さんがHSCという方は多いかもしれませんね。
ただ、HSCだからといって諦める必要は全然ないです。
例えHSCでも皆さん再登校できていますので、ご安心ください!

ここからは具体的にどのようにして不登校になったのかをお話しいただきました。
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③小学生入学後、不登校になるまでの息子さんについて教えてください。

初日は臆する事なく順調に学校に足を踏み入れました。
息子自身も小学校に入る事を「友達100人つくる!」と楽しみにしていたので、不安より楽しみな気持ちが大きかったと思います。
ところが…
入学式前から、まず学校内の放課後ルームに通い出したのですが、その初日からトラブルに見舞われる事が多々ありました。

やんちゃな同級生に怪我を負わされたり、上級生が怖かったり。
同級生に胸を殴られて息ができない、という事がありました。
1人で苦しくて地面に転がって泣いていたのを、ルームの先生を含め、誰からも気づいてもらえなかったそうです。

この出来事は学校に行かなくなって1年以上経った頃にも時折、トラウマのように思い出しては「辛かった」と言っていました。
学校のクラスが始まってからは、これまた不運な事に、怖くて有名な先生が担任に。
ひらがな練習帳に何度も何度も書き直しては先生に持って行くのに「何度も言ってるでしょ!間違えないで!」と怒鳴られ。
どこが間違えているのか教えてももらえず、どうしようもない状態。
ノートは間違えページの印として先生に付けられる付箋だらけになりました。
でもやっぱりどこが間違いかは教えてもらえず…。

どの子にもそんな対応の先生だったのですが、受け流せないタイプの息子はとても授業が辛いものになってしまいました。
また、学校ならではの細かいルールも、全て覚えて守らなくてはと考えてしまう息子は、だんだん息苦しさを感じる様になっていきました。
いつものびのびと過ごし、先生がしっかり見守る中で友達と安心して遊んでいた保育園の環境が恋しくなり、家で「保育園に戻りたい」と泣くようになりました。
更に家では私が間違った対応をしてしまっていたのも追い討ちでした。

学校に行きたくないという息子の話を、辛いだろうなと思いながらも「学校なんてそんなものだから。」「いちいち気にしてたらきりがないよ」と真剣に取り合おうとしませんでした。
ここで行きたくない気持ちを尊重して休ませたら休み癖がついて、最悪不登校になってしまう、と思っていたからです。
何かと甘えん坊な息子に自立して逆境を乗り越えて貰いたいと思いすぎて、突き放した物言いをしてしまっていました。
そんな事が重なり、入学早々の小1の5月には学校に行こうとするとお腹が痛いと言って、顔が真っ青になり玄関から動けないほどにまでなってしまいました。

何日休ませても行ける状態にならず、夫が見兼ねて息子を担いで学校に行った時もありましたが、その時はパニックになり泣きじゃくりました。
そんな様子を見て、ようやく息子が本当に限界なんだと気付き…。
学校に行く働きかけを諦めて暫く休ませる事にしました。
そこから何ヶ月も学校に行かない不登校生活が本格的に始まりました。
まさに最初に心配していた最悪の事態が、現実となってしまいました。

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いやー、これは息子さんかなり辛かったですね…。
息子さんの気持ちを考えると胸が締め付けられる思いです。
学校に行けなくなる気持ちも大変よく分かります。
ただ、親御さんが「学校なんてそんなものだから」と思ってしまった気持ちもすごく理解できます。
学校では色んなトラブルがつきものです。
そんなトラブルもいい経験として乗り越えてほしいと思うのが親心だと思います。

ここからは、親御さんが不登校とどう向き合ってきたか、
具体的にどのような行動を起こしてきたかを聞いていきたいと思います。
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④不登校になってから、親御さんが取り組んだことを教えてください。

小1で初めて行けなくなった時は、私もすぐにフルタイムの仕事を休職し、息子のそばにいる事にしました。
この時は息子への今までの態度を猛省しつつ、学校に対しても憤りがありました。
生徒数も多く、教員も限られた人数なので、一人一人の生徒にケアできない事も承知ではありますが…。
担任の先生には本人が怖がっている事、ルームには友達から何度も暴力を受けた事を報告しましたが、特に特別な対応はなく、
「本人が来れる状態になったら来て欲しい。」「無理はしないで」との形式ばった対応ばかり。
ただの面倒な保護者扱いで突き放された気持ちになり、かなり落ち込みました。

スクールカウンセラーにもかかりましたが、学校でどんな嫌な思いをしたかはあまりヒヤリングされず、私自身の子供に対する態度を中心的に聞かれました。
自分の至らなかった部分は大きいですが、母親だけのせいにされている気がして苦痛でした。
いまの学校が合わない事が原因、と考えた私は近所の私立小学校の資料を取り寄せました。
息子もパンフレットを見る目は興味津々なのですが、いざ見学に行こうとすると出られませんでした。

次に「保育園に戻りたい」とばかり言う息子に、本当に保育園に行かせてみる事にしました。
当たり前ですが、同級生は卒園しているので、先生のお手伝いや園児たちのお兄ちゃん的立場で役に立つ事で、自信を取り戻せたらと思いました。
保育園側もこれを快く了承してくれました。
「あの子が学校に行けなくなるなんて!」と先生方は驚いていました。

後で知った事ですが、このとき保育園の園長先生は学校の校長に「なんとかしてください」と直にお願いにまで行ってくれていたようです…。
まさかの保育園通いに息子は大喜びしました。
しかし、2日間行ったきりで行かなくなりました。。

理由は「僕は同級生がいた時の保育園に戻りたかっただけで、今の保育園にいたい訳じゃない」と。
その時に、息子が保育園に戻りたがる理由が、よく分かりました。
保育園児になりたいのではなく、自信たっぷりで楽しかった時の自分に戻りたかっただけなんだなぁと。。

そうこうするうちに、大好きだった習い事の体操でさえ行きたがらなくなっていきました。
何でここまでになってしまったのか、途方に暮れました。

理由を本人に何度聞いても「分からない」という返答ばかりになりました。
ネットで不登校について毎日検索しました。
「愛情不足が原因」というキーワードと「ありのままを受け入れて、本人から外に出て行くのを待つ」というセオリーが溢れていました。

早くから保育園に預けて、側にいられる時間は限られていたけど、心から息子の事は愛しているし、「大好きだよ、宝物だよ」と伝えてきたのに「愛情不足」…。
どうやったら不足を補えるのか、この時は全く分かりません。
私が今の不登校の息子を、心から受け入れていないのが原因なんだと思い込むようになりました。

「学校に行かない息子を認める」=「学校は行かなくても良い場所」と思おうとしました。
学校に行かなくても良い事例をたくさん調べて、不登校から成功者になった方のお話を読んだり。学校以外の選択肢をたくさん考えました。
フリースクールは何件も調べました。

しかし、フリースクールも本人が行く気にならないので、通うことはできませんでした。
家で子供と向き合っているとお互い行き詰まって、ダラダラとテレビや漫画ばかりを見て過ごす息子に私も責めるような事を言ってしまいます。
不健全なので、なるべく外に連れ出す方に今度は意識を向けました。
学校や習い事には消極的な彼も、遊びには積極的でした。
公園、博物館、市民プール、たまに遠出。
ずっと仕事をしてきたので、私も特別な休暇が出来たという思いで、息子と外出を楽しみました。
これは結構良かったです。

みるみる元気になり、遊びの帰り道には「明日には学校行こうかな」という言葉が出てくるようになりました。
小1の5月GW明けから不登校でしたが、夏休み明けの9月には再登校を果たす事ができました。
先生も息子には優しく対応してくれるようになり、友達もすぐにできました。
それでも、時折り「学校は疲れる、授業がつまらない」という理由で行きたくなくなって、
月に1回は学校を休みましたが、1日休むとなんとか気分を持ち直してまた通っていました。

しかし、何ヶ月か通っていると元気がなくなりしんどそうにします。
また危ういか…という所で冬休みになり、なんとか2学期を通い切りました。
3学期もしんどそうでしたが、そこからコロナ拡大により休校期間に入り、1年生は終了しました。

3ヶ月という異例の長い休校期間を挟み、2年生は6月からスタート。
学校は開始が遅れた分、詰め込みのスケジュールと、休み時間も外に出れず友達との会話も制限される環境でした。
クラス替えもあり、仲の良い友達とも離れました。

もともと環境の変化が苦手なうえ、休校期間に家でテレビや漫画、ゲームを好きなだけする生活に慣れきってしまった息子は、
たちまち「学校が辛い」「好きな事ができずただ座ってるだけの1日が耐えられない」と愚痴をこぼすように。
2週間ほど学校に通うと、またお腹が痛くて玄関から動けなくなるようになりました。

私は1年生の時のように仕事を休職して側にいる、という選択はしませんでした。
息子が一年生の時は、行かなくなった理由になんとなく納得していた所がありましたが、
2年生では「学校はめんどうで、家の方が楽だから」と甘えた理由のように思えたからです。
あんなに苦労して行けるようになったのに…と心底ガッカリしたのもあり、明るい気持ちで子供に接する事ができませんでした。

1年生だった頃より息子の再登校のために必死になれず。
いずれ家での生活を暇に感じて、自然と学校に行き出すだろうとのんびり構え、放置する方に私が向いて行ってしまいました。
そして、夏休みまで休ませたら2学期に行くだろうと思っていたら行かず、10月になったら…11月になったら…と節目で期待をして、
本人とも話し合うのですが、「行く」「行きたい」と言っていても、1日好きな授業に出てはそのまま行けなくなるの繰り返し。
あっと言う間に何も進展せず2年生の1年間が終わってしまいました。

「もう家は飽きた、こんな生活はやめたいと思ってる。でも途中からじゃクラスに入って行くのに緊張しちゃうから、3年生になったら行く」
話し合った時に息子がよく言っていた言葉です。
そして3年生の初日。行く準備はしたものの、家からなかなか出られません。
何とか学校まで行っても、校舎の玄関には入れず。
「ここを何とか足を踏み入れたら、後が楽だから!」とずっと説得しましたが、足がコチコチに固まったのかというぐらい硬直していました。
諦めて家に引き返すと、歩きながら息子は泣きました。
行きたいと思っているのに、行けない自分に苦しんでるようでした。

私は最初「行く」とあれほど言っていても行けない息子に憤りを隠せませんでしたが、
本当に自分でどうにもできない状況で泣いている息子を見て、とても大きな問題を放置してきてしまったと、この時にやっと気付きました…。
正直に、これまでは行けないのは学校のせい、甘えのある息子のせい、という気持ちが強かったです。
でもやっと、こんな状態の息子を放置してしまった親の自分に責任があるとこの時に気づきました。
「私が何とかしないと息子は家から出れなくなる」
危機感でいっぱいになりました。

また仕事を休んで、もしくは辞めて息子の側にいるか…と悩みました。
でももし、私が仕事を捨てて息子が行けなかったとしたら、自分にとっても失うものが大き過ぎるし、
その責任を息子に転嫁したら最悪と考えたため、外で仕事をしつつ解決策はないか探しました。

結論、私1人で解決は無理だと思いました。
夫とは何度か話し合っていますが、夫自身も前向きに息子と接したいのに、できない自分に苦しんでいるようでした。
不登校専門の機関の力を借りて、第三者にちゃんと助けてもらおう、そう考えました。

まず、私1人で不登校専門のカウンセリングを探して受けに行きました。
そこで勧められたのは、発達診断のテストや、性格診断のテストを受ける事。
息子本人がテスト結果から出る自分の強みと弱みを客観的に把握し、
強みの認知による自己肯定感の醸成と、弱みの認知による苦手なもの対する行動対策を立てるというものでした。

大変興味深いものでしたが、8歳という幼い子供には高度すぎる対処法に感じました。
次に地域の保健センターで、不登校相談と適応指導教室の案内を受けました。
適応指導教室は学校に戻るのを前提として、生活指導してくれる所です。
相談した時に「不登校はこれといった解決策がなく大変難しい問題です。長い目で何年も付き合うと思って下さい」と言われました。
それを聞いて、やはりそうか…と辛い気持ちになりました。
その何年が8歳の息子にとってどれだけ貴重な時間か。。

適応指導教室への見学までは息子も足を運びましたが、通うところまではやはり、行きつきませんでした。
HSC専門のフリースクールにも相談に行きましたが、「学校はHSCにとって難所です。」とのアドバイスを受け「ここへは本人が来れる時に来てください。強制はしないで」と。
どこでも言われる事のみでした。
どうすれば行けるようになるのか、また息子にはどこが居場所になるのか、いずれも答えは出ませんでした。

---
親御さんとしてとても苦悩を抱えた数年間だったことが伝わってきますね。
不登校の親御さんのお話を聞いていていつも思うのが、「出口が見えないこと」が一番辛いんじゃないかなと思います。
今回のKさんも、息子さんのために自ら動き、色んなことを試されていますよね。
でもそれが、不登校という問題を解決することに繋がっているかが見えなかったと思います。
出口が見えず、進んでいる方向が合っているか間違っているかもわからない。
それが、親御さんとして一番苦しかったんじゃないかなと思います。
まるでゴールがいつ、どこにあるか分からないマラソンと同じですよね。
そんなマラソン、辛すぎて誰も完走できないと思います。

ここからは、そんなKさんが最終的になぜ私達スダチ(旧逸高等学院)にたどり着いたのか。
そして、なぜスダチ(旧逸高等学院)を選んでくださったのかを教えていただきたいと思います。

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⑤スダチ(旧逸高等学院)を選んだ理由

3年生を迎えて1ヶ月が過ぎた5月頃。
GWが明けても相変わらず学校には行けませんでした。
見学にいった適応指導教室やフリースクールにも通おうとしません。
私はルーチンと化した不登校のWEB検索で気になるYouTube動画と出会いました。
「不登校を3週間で解決」
…かなり怪しいけどここまで言い切る宣伝は初めてだなと(笑)
見るだけなら、、、と思ってクリックしました。

この動画を見た時、ずっと違和感に感じていた不登校にまつわる考えを全て否定してくださり、目が覚める思いでした。
「元気になるまで見守りましょう。」
「学校は行かなくても良い場所。」等々、何度も目にしてきた不登校のセオリーを納得いく形で否定してくれる動画でした。

自分の中で明確に「子供には楽しい事も嫌な事も全てひっくるめて経験するために、学校に通って欲しい」と願っているのに、
それは子供の本当の幸せを願っている事にならず、今こうして不登校を解決したくてジタバタしている事自体が、
不登校の子供を否定しているのだ、とずっと罪悪感を抱いていました。
スダチ(旧逸高等学院)は学校に行くべき理由を、事実を用いて推奨してくれており、力を貰いました。

それから何本も逸高さんの動画を見ました。
実際に面談して本格的に話を聞いてみようと思ったのは、動画の中で紹介された会話方法を実践したら、目に見えて効果が出たからです。
息子が自分のこれからに関して、現実的に考えるようになっていきました。
それまでは敢えて何か考えることを拒否するような態度だったのに…。
あと一歩のところに来ていると感じました。

しかしそこから、本人が望むで形でどう登校に繋げていけば良いのか、そこが今一つかめず。
動画を見て連絡をするのは初めてだったのでかなり抵抗もありましたが…(笑)
勇気を出して面談の予約をしました。

無料面談では、ご担当者から慣れた様子でさらさらとヒヤリングを受け、「結論から言うと登校できます」とあっさりきっぱり言われました。
「不登校の解決は時間がかかる。長く付き合うもの」
「HSCと学校は相性が悪い」
とこれまで自分が触れてきた情報が刷り込まれており、それに苦しんできていたので…。
息子の状況を特に珍しくもないとばかりに「行けますよ」と言ってもらえ、肩の荷が半分おりました。
まさにそれを誰かに言ってもらいたかったので!

今まで関わった各相談機関やフリースクールの違いはまずそこでした。
大変だねと共感してもらったり、原因を幼少期のトラウマに追及したり、本人の生まれ持った気質と照らして考えたり、学校とは別の選択肢を探したり、をずっとしてきました。
しかし、逸高さんは
「正直、原因はどうでも良くて、お子さんがこれから社会に出て、どんな環境にも挫けず力を発揮できるようにしていくのが1番じゃないですか」と。
原因はどうでもいいんですね(笑)
ちょっと脱力しました(笑)
どんな環境でも生きていけるように…まさにその通りでそれが理想ですが、、
うちの子にそんな事ができるのか。。という思いでした。

しかし、本当にこれまで数々の不登校を解決してきたであろう自信が見える担当者さんのお話を聞いて、
私がきちんとこれを実践できれば解決するんだろうなと思わされました。
実践する事も、改めて振り返ると至極当たり前の事ばかりでした。
愛情を注ぐこと、正しく褒めること、きちんと躾けること、毅然とした態度でダメな事はダメと言うこと。

頭では分かってる事ですが…この当たり前の事を具体的にどうすれば良いのか分からない。
どういったタイミングで、どのような言葉を持って、どのような態度で接すれば良いのか。
また、今までインプットしてきた「子供の今の姿を受けとめる」という情報の刷り込みもあり、態度がぶれてしまいそうで不安でした。

面談だけなく、いつでも事細かに相談したいと思い、
主人とも相談した上で1ヶ月しっかりとサポートを受ける選択をしました。

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まずは多くの相談機関がある中で私達を選んでくださり、ありがとうございました。
選んでくださった理由など色々と深掘りしたいところではありますが、
あまり突っ込み過ぎると宣伝みたいになってしまうので、あえてここは触れないでおこうと思います笑

ここからは再登校に至るまでを振り返っていただきたいと思います。

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⑥どのように再登校まで至ったかを教えてください。

結論から言うと、うちの息子は再登校まで23日かかりました。
逸高さんが支援されてきた中では少し時間がかかった方だと思います。

元々、不登校中にありがちな、昼夜逆転、ゲームを何時間もやってしまうという事などはなく、
決められた時間内でゲームはやり、朝はきちんと起きて、夜は早めに寝るなど生活リズムも整っていた方でした。

しかし、慎重な内面の影響なのか、登校まで思ったより時間がかかり、なかなか手強い子でした笑
でもお陰でサポートをがっつり1ヶ月受けられて良かったと思います。

サポートが始まってから、一見、再登校とは関係ないように感じる部分ですが、
家族間での朝の挨拶や、ご飯を家族揃って食べる、時間を守るなどを徹底しているだけで家庭の雰囲気が変わりました。
またデジタル機器を制限した事で、子供への効果のみならず、親がスマホに目を奪われていた時間を子供を見つめる時間に変えられた事が良かったです。

息子が不登校になってからどんよりしがちだった空気が前向きになっていきました。
そして早々に、学校にいつ行こうと息子自身が本格的に考えるようになりました。

ただ、とても慎重な性格なのでなかなか考えた事を実行に移せず、何日も苦労しました。
学校に行こうと踏み出しても、足が震え、前にすすめなかったり、
「今日こそは学校にたどり着くぞ!」と気合を入れて出発しても、途中で挫折して、悔し涙を流して家に戻った日も1日じゃありません。
これまでの私だったら「ここまで苦労しても行けないなら」と息子に登校を諦めるように促していたと思います。
ですが担当者さんは「この悔しさがとても良い経験ですよ」「挑戦する回数は多い方が良いです」「こんなに頑張れる子はいないですよ」
と毎回息子の行動を認めて、褒めてくれました。

また、私と息子の状態の見極めが的確で、具体的な声がけ方法や、考え方のレクチャーを分かりやすい形で毎日送ってくれました。
この毎日のサポートがあったからこそ、子供に対して根気強く見守り、前向きな態度で励ます事ができました。
何度失敗しても次にまた学校へ行く方法を考える息子を、頼もしいと思えるようになりました。

初めて息子が自分の足で学校にたどり着いて校舎に入れた時は涙が出ました。
心から息子の頑張りを凄いと思えました。

また、毎日学校へいこうと闘っている息子を家族全員で応援できた事が本当に良い経験となりました。
家族になって何年も経ちますが、一丸となれたのはこの時が初めてかもしれません。
5歳の弟も、「にぃにぃ、頑張れ」と学校の方へ歩き出す兄について歩きました。

家で怠惰に過ごす息子に否定的な言葉や目線をかけてきた主人も、
「ここまでの努力は、大人でもなかなかできない。本当に凄いよ。」と息子をとにかく褒めるようになりました。
「良い家族になったなぁ」と心から思います。
反面、これまでいかに何の方針も持たずに家族として過ごしてきたか、と反省しました。
何の軸も持たずに過ごす事の罪深さを感じました。
後に主人が
「あの時、何とかするために良いところを見つけてきてくれてありがとう。それがなかったら、息子が大きくなった時に『お前のせいだ!』と息子に刺されてたかも」と深刻そうに言っていました。
私は笑ってしまいましたが…笑

主人なりにも息子の不登校の原因は自分にあると考えていたそうです。
自分がきちんと褒めたり、認めてあげたり出来てこなかったから、息子が閉じこもってしまったのだと。
何かと子供に対してダメ出しの多い父親と母親で、それが親のあるべき姿だと思っていました。
また、「家族=苦労」なんじゃないかとさえ思っていました。
でも今では、毎日子供の成長を探し、喜び、失敗すら前向きに捉えれば、家族ほど面白いものはないと感じます。
今は家族で過ごせる休日が1番の楽しみとなっています。

↓ここから
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こうやってもう一度振り返ると本当に感動しますね。
改めて再登校おめでとうございます!
このように再登校できたのはひとえに、Kさんが覚悟の気持ちを持ってお子さんと向き合われた結果です。
本当に素晴らしい親御さんだと思います。

そして再登校に留まらず、ご家族みなさんがいい方向に向かわれていることが何より嬉しいです。
不登校というピンチをチャンスに変えて、家族として一つになれたことは、ご家族みなさん一人ひとりの頑張りのおかげです。
これからはどんなことがあっても、それを前向きに捉えて、次の挑戦ができるご家族になられたと思います。
この先の息子さん、そして弟さんの未来が楽しみですね!

最後は、これまでの振り返りと感想をいただきたいと思います。

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⑦最後にこれまでの振り返りと感想をお願いいたします。

苦労して不登校を克服した経験は、息子にとって、大きな自信となっています。
今は毎日休まず学校に行き、以前のように暫く学校に行くと疲れて行きたくなくなるという事も起きていません。
むしろ、学校に行けば行くほど自分に自信をつけていってるように見えます。

ずっと着手しなかった学習を習慣化し、「中学は私立難関校に行きたい」とまで言い出すようになりました。
私立受験は選択肢の一つとして本人と話し合って決めましたが、難関校に関しては親からも全く勧めてません。。

学校では授業で積極的に手をあげて発言もするようになったと先生から聞いています。
またHSCなりの良さも発揮していて、通知表では「表情から心情を読み取る事ができるため、困っている友達にすぐに声をかけて助けてくれていた」と先生からフィードバックがありました。
朝は私が付き添って学校に行っていましたが、それも今月から近所の友達と2人で仲良く行くようになりました。
「行ってきまーす!」と元気な声で玄関を出る姿を見送れるのが、毎日幸せです。

ここまで書くと超順調そうですが、息子も毎日がスーパーマンのように前向きな訳ではありません。
宿題を面倒くさがったり、弟に怒りっぽかったり、友達と喧嘩して落ち込んだり、色んな日があります。
それでも次の日はまた元気に学校へと出発していきます。

私も未熟な親なので、これまでの本人の頑張りを忘れて、説教したくなる時がまだまだあります。
ですが、少し冷静になって思い返すと、子供達が短期間にもの凄い成長をしている事に気づきます。
どんなお子さんも毎日成長していて、それを一つ一つ見落とさずに発見し、本人に喜びとして伝えるのが親の役割なんだなと最近思います。

この様に考えられるようになったのは、あの時にスダチ(旧逸高等学院)をみつけて、しっかり子育てを教えて頂いたお陰です。
逸高さんにお世話になったのは息子の不登校解決が目的でしたが、
「家族とはどうあるべきか」ひいては「人生はどうあるべきか」を教えていただける本当に貴重な時間でした。

副産物として、私個人の仕事で、これまで面倒だと思っていた事すらも「これを乗り越えれば私はレベルアップする」と前向きに取り組めるまでになりました。
パートから社員になって頑張ってます。ありがとうございます!!(笑)
不登校のお子さんのみならず、子供達一人一人がそれぞれの人生を挫けず歩める社会になるよう、
スダチ(旧逸高等学院)のメソッドが日本で当たり前の認識になる日が来ると良いなと思っています。

---
素晴らしいご感想ありがとうございます!めちゃくちゃ感動ですね。
最後の、パートから社員になって頑張っているお話なんて本当にドラマみたいだと思いました。

こんな短期間でここまで変われたことは、今聞いてくださっている皆さんにも勇気を与えてくれると思います。
お子さんだけでなく、親御さんまでも変われたことが何よりの財産になりますね。
もうご家族はKさんがいれば安心ですね。ぜひこれからも幸せなご家庭を築いていってください!

最後に私からの感想をまとめとしてお話させてください。
私達は、毎日多くのご家族がお子さんと奮闘されている様子を見ています。
しかし、1つとして同じケースはなく、どのご家族もみんな違った悩みを抱えられています。
小学生、中学生、高校生でみなさん悩むことも全然違います。
そして、不登校から再登校に至るまでのストーリーはどのご家族も本当に感動的です。
私達も毎日のように「親子関係の大切さ」そして「家族の大切さ」を思い知らされます。
親御さんが覚悟を決めて変わろうとすれば、絶対に子供は変わります。
これは私達が毎日目にしている事実です。

今回ご紹介したKさんご家族も、親御さんが覚悟を決めて取り組まれたからこそ、ここまで変われたんだと思います。
だからこそ、今聞いてくださっている方も、どんな状況だったとしても絶対に諦めないで欲しいです。
今日のお話が、今悩まれている親御さんの背中を押すきっかけになると嬉しいです。

こちらの記事では、不登校気味のときや家庭で癇癪を起こすときの対処方法について解説しています。参考にしてください。

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本日は、「1年半不登校だった息子が23日後に再登校するまでの奮闘日記」という内容でお話いたしました。
これからもこのチャンネルでは不登校を解決するために必要な考え方をお話していきます。
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毎週水曜日、土曜日で無料セミナーも開催しておりますので、少しでも気になる方はぜひご参加ください。
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本日は最後までご視聴いただきありがとうございました。

  • この記事を監修した人
小川 涼太郎(おがわ りょうたろう)

小川 涼太郎(おがわ りょうたろう)

スダチ(旧逸高等学院) 代表
株式会社スダチ 代表取締役社長

業界最速で不登校を解決する「3週間で不登校解決プログラム」を展開。毎年500名以上の不登校に悩む親御さんが相談に訪れる。

再登校までの期間は平均で3週間。
当プログラムの目的は、「子ども達がこの先の人生を幸せに生きていくこと」。不登校の解決はそのための通過点に過ぎないと考えており、できる限り短い期間で再登校することを大事にしている。

これまで不登校の子ども達に向けたボランティア活動を通し、多くの不登校の子どもたち、保護者様と関わる。

ボランティア活動を通して、子ども達や親御さんとお話しする中で、「本当は学校に行きたい、だけど行けない。自分でも行けない理由が分からない」子ども達が多くいることを知る。

そのように苦しんでいる子ども達や親御さんを見て、「不登校で苦しむ子供たちを一人でも多く救いたい」との思いを持つようになり、不登校支援事業を立ち上げるに至る。

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